月刊秘伝2003年8月号

 

これは護身術ではない!?   「功朗法は制圧術」とは言い得て妙    文・松井欧時朗

功朗法は護身術では、ない > > 功朗法は「護身術」ではない……とまずは感想を述べたい。 > 3月21日、22日東京都荒川区にて開催された功朗法セミナーの体験レポートをしたいと思う。

何を体験しても、その感想はその体験そのものではなく、体験した人間の過去の経 >験、考え方というフィルターによって変質されて文章になる。  そういった意味で、まずは筆者がどんなフィルターなのか、簡単に自己紹介をしたいと思う。

武道歴は、年齢の割には無駄に長く15年程ある。高校時代に合気道、大学では体育会で日本拳法をはじめ、どつきあいに喜び?を見いだした。社会人になり総合系格闘技をストレス解消程度に経験したのち、太気拳の門を叩く。

 中国拳法というのは胡散臭いもの、が正直な認識であったが、素面素手で殴り合いができる、というだけで太気拳を選んだ。散打大会も何度か出場し結果を残すこともできたが、現在はやっと師に巡り会い、拳法を術として追求しよう、という気分になっ てきたところである。

本題だが功朗法のセミナーが東京で開催された。  創始者である、横山師範自身が定期的に東京でセミナーを開いており、その評判の実戦性の高さを体感することができたのである。

合理的な数少ない技術 > > 

武道、武術に何を求めるか。それは人によって違うように思う。  身体機能開発の為、健康の為、自分や大切な人を守る為、自己探求の為、自分のサディズムを満たす為??  どんな理由で武術をするのも勝手だが、「矛を止める」を語源とする「武」の字が つく限りは身を守る為の技術が含まれているというのは基本的要件だろう。

 この「身を守る」ということだけにクローズアップするなら、「愛」だの「気」だのといったことは無用である。 というよりもそれだけを習得したいのなら宗教のほうがずっと効率的なシステムだろう。

また、危険はいつ起こるか分からない。運良く達人になれた20年後に暴漢に襲われるかもしれないが、ひょっとしたら来週、まだいるのか知らないが渋谷のチーマーに 襲われるかもしれない。 功朗法はまさにその「身を守る」という「用」の部分に焦点を合わせた技術である。 「用」を求めるのであれば、相手が素手ではなく武器をもっている状況を想定し、 自らも手近の物を武器として活用しようとするのは自然の流れだろう。 それは現在の稽古中での比重は別にして、剣の理合を多く含む合気道、武器術のある空手などでも同じだろう。

 功朗法では徒に練習時間を浪費せず、数少ない技術で敵に対する。  これは創始者である横山師範との会話の端々から感じられるその合理性から生み出 されたものであろう。

> >左体捌き、キックショック、システムブロック > > 

さて、セミナーの概要であるが、セミナーは2日間各3時間程、受講者は30名余りで会場は熱気に包まれていた。  受講者は一見して特に武道経験者ではなさそうな人、格闘家風とバラエティに富んでおり、女性の受講者もいる。 セミナーの最後には、希望者に限って実戦さながらの「インストラクター試験」が開 かれており、一般の武道でいう、級、段に相当するインストラクター資格の認定を受 けることができる。 セミナーの形式としては、一方が武器を持った状態で攻撃を加え、一方がそれを捌 く、というもの。  まずは横山師範が見本を見せ、それを練習していくが、当然受講者のレベルにもばらつきがある。

ある程度習熟した受講者は自分で技を工夫し、応用していく。初心者は突きを丹念に捌く練習から、順に習得をしていく。 横山師範は順に見て回り、質問に応え、実際にいろいろな技をくりだして熱い説明 を加えていく。  功朗法といえば、対武器術が代表的であろうが、その武器の種類も豊富で、短刀にはじまり、日本刀、棒状のもの、ピストル、コンクリートブロック、はては横山師範 のその時の思いつき?でペットボトルを劇薬入りの瓶に模しての対応まで即興で試された。  一方、受ける側は基本的には素手の状態、2日目にはタオルを使った防御法も練習 に組み込まれている。

 開始状態もさまざまで、正面からの攻撃だけでなく、刃物、ピストルを後ろからつきつけられた状況等、「これは無理でしょ!」と思える状況からも対処をしていく。  一見すると絶体絶命の状態に思えるが、横山師範によると「人間は反応するのに約 0.2秒必要とする為、その間に自分を安全圏におくことができれば問題ない」とのこと。 確かに師範に銃を突きつけても、引き金を引くまでに取り押さえられている。

中国拳法に通じる功朗法の技>>

 護身術という切り口で、ひろく認知されている功朗法であるが、その武器にたいする対応は武術そのものである。 武術では武器は手の延長、というが功朗法でもどの武器に対しても共通する術理が あった。 それが、功朗法が紹介されるときにクローズアップされる、・ 左体捌き・ キックショック ・ システムブロックである。これらを見たとき、実戦、即戦力を謳う功朗法の技法は、中国拳法に通じる、と感 じた。

 まず、左体捌きについて。 > これは全ての武道に通じるが、足運びによらない体重移動による身体の位置移動である。功朗法では最初の動きをこの左への転身に絞ったことが新鮮である。 また、左体捌きの後には絶対に下がらない。  武器を避けるとき、人間は本能的に間合いを取る。 これは初撃をかわすには有効だが、攻撃者はかならず2撃目、3撃目と追撃を加え、 ついにはつかまってしまう。

このため横山師範はいつも「半歩づつ前にでるように」指導する。  密着をすれば長い武器の場合はそれだけで攻撃範囲外に出ることができ、短刀などの場合も、手を持ってしまえば無力化できる。 まずは左体捌きで初撃を避け、相手の武器を制し、打撃を加える。

面白いのは、左体捌きさえすれば相手の身体、手等に当たることはあっても、武器には常識的な攻撃をしてくる限りは当たらない場所に移動できているということである。  そして、左体捌きと同時に、相手の武器を制し打撃若しくは関節技で相手を制して いく。  その際の打撃は一撃ではなく、二撃、三撃と連続し、相手の戦闘能力を速やかに奪 う。 打撃について横山師範は「同じ場所を同じ方法で二度以上打つな」と言う。  打たれた相手は当然防御をするが、それが同じパンチの連打では、二撃目からはガー ドの上からの攻撃となり、無駄なことであり、であれば、同じ顔面を狙うにも掌、肘、拳と違った方法で加撃をせよ、という指導である。

また、構えについては体重を後ろ足にかけた、空手でいう後屈立ちである。 これは横山師範の言う「間合いのトリック」の為だという。  この後屈立ちだと、攻撃者は相手の上体まで距離があるように感じるが、防御者は、 体重を前足に移すだけで相手との距離を縮めることができる。 実戦性の高さもってその存在意義とする功朗法で、直接打撃ルールではほとんど使用されず、伝統派空手、中国拳法でもっぱら使用される後屈立ちが基本とされているのは面白い。  また、手の構えはあまり前にださず、アゴの下あたりで軽く構える。 これは手を身体から離して前に出していると攻撃者がナイフ等を持っている場合、 手を攻撃してくる為であり、とことん対武器という圧倒的不利な状況を研究をしているな、と感心させられた。

 次は、キックショックについて。

これは全身を脱力し、足を踏み込むことによる反作用を足〜腰〜手と伝えさせる技法 である。まずは突きをイメージせず、手に持った何かを投げるように、もしくは腕を放り出すように前後、左右に出す。その際は脱力によるスピードを充分習得した上で次は接触時に身体を固めるステップに移る。 この脱力からの打撃法を習得すると、数センチの位置からでも効果的な打撃を放つことができる。

 功朗法の場合、相手の武器を無力化する為に、できるだけ相手と密着をする。その為、通常の打撃法よりもこのような方法を多用するのである。  実際に電話帳を抱え、横山師範に数センチの距離から打撃を打って頂いたが、激突面へのショックで首ががくん、となるような衝撃を受けた。 これはまさに中国拳法でいう寸勁であろう。

 そしてシステムブロック。

 動物には個体間距離というものが存在する。電線にとまる雀は均等な間隔を空けており、また人間でも一定以上の距離に侵入されると不快感を感じるものである。  これは動物に自然に備わった間合いの感覚であり、文化により若干の違いはあれど、 人間の場合も攻撃をされてなんとか身を守ることができる距離が基本となる。

攻撃を加える、というのはその個体間距離を破って侵入するという行為であり、そ れを心理的、身体的に未然に防ぐのがシステムブロックである。 具体的には攻撃者が攻撃に移る前に「まあまあ」といった調子で相手の胸〜腕あたりに自分の掌をそえる行為、それだけである。

 たったこれだけのことであるが、攻撃者が行動に移る瞬間、その動きが自分の手を伝わる為、俊敏に対応をすることができる。  これは相手が手の内の武器を使う場合だけでなく、蹴りをしようとする場合でも同 様、足を使うにも上体の動きは必ず伴うわけであり、全て察知することができる。 このときのコツは、相手にそっと触れることであり、力を抜いているからこそ、鋭敏に相手の動きを察知することが可能となる。  このシステムブロックも名前こそ違え、中国拳法では聴ケイとして、推手等の訓練で重視することの一つである。  また、相手との個体間距離をはかる方法としては、接触してからの触覚よりも、まずは視覚による判断が最初にある。  武術において、「目付け」は重要な要素の一つであり、打撃系格闘技では相手の人中から両肩を結ぶ中心点あたりまでを見るように指導する流派が多い。 ところが功朗法では足、しかも足の甲を見るように指導する。  これは、夜間における格闘、対複数を想定してのことである。

 まず、どのような動きにおいても足が最初に動く。 足が動かずとも手が届く範囲 で構えるのはそもそも個体間距離がつまり過ぎた状況であり、パンチやナイフ等、手 を用いた加撃においてもまずは足が動くことになり、その足を見ることにより上体の 動きが前もって読めることになる。 また、暗闇では上方からの光を最も反射しやすい足の甲がよく見える、という事情もあり、また試して見ればすぐに実感できるが、視線を下に落とすことにより、複数を相手にしたとき、両横の人間を完全に視野にいれることができるようになる。

 ただ、功朗法の場合、最も求められる「目付け」というのは相手だけをとらえる視野ではなく、手近の物を武器とする為の状況把握能力にあるのであろう。 セミナーの後、横山師範の経歴を伺う機会を得られたが、糸東流のトップ選手とての活躍後は太極拳を修行されていたとのこと、その合理性の裏に隠された理論、奥深さの理由を垣間見ることができた。

 最初に功朗法は「護身術」ではない、と言い切ったが、筆者が二日間体験した限りでは、それは「制圧術」である、と言うほうがより当を得ているのではないだろうか。 護身術として自分の身を守るだけでなく、相手が攻撃を加えられない状況にまで持っ ていく技術。 またそれを短期間でステップバイステップで習得する練習体系、それが功朗法には備わっている。

 「護身術・功朗法」とは、強力な攻撃力を持つのに軍隊ではない、と言い張る自衛隊のような、羊の皮をかぶった狼的呼称だと思う。 武術に「和」や「心」を求めるのでなく、「用」を求める向きにはもってこいの 「術」であろう。  弱者を強くするシステムを確立しているが、それのみではなく、究極的には殺し合 いを想定した武器を含めた身体の操作術を極めようとした中国武術と、根底に流れる思想に近いものを感じる。

一具一技多用 、合理的な数少ない技術・・・

例えば自動車にブレーキが多数ついていて、その状況に応じてそれぞれのブレーキを踏み分けなくてはいけないなら、毎日何度となく事故を起こしているだろう。護身術もまさにそうであると私は考えている。攻撃者の攻撃方法や攻撃個所に合わせて、防御技や体捌きを変えていたら、対応速度が遅れるだけでなく、どの個所を攻撃してくるかを見分けなくてはいけない。このための訓練にはかなりの時間を要する。

まして暗がりで攻撃を受けたなら、攻撃してくる個所を見分けるのは至難である。そこで功朗法は、どこを攻撃されても、相手の凶器が自分にダメージを与えることの出来ない位置に、体を移動させることができる洗練されたシンプルな一種類の体捌きを重要な根幹部分としている。

この根幹部分に枝葉のように技法が付随しているのだが、その技法数も少ない方が1つの技法に対する訓練時間を長く取ることが出来、熟練度も上がり突発攻撃に対して反射的に体が反応できるようになる。  要するに一つの道具や武器、一つの技法を多くの出来事に応用するということである。まさに反射的に自動車のブレーキを踏むように、一つの体捌き一つの技法を行うことで、全ての突発攻撃を防ぐのである。  

護身術の本質 これは護身術ではない!? 文・横山雅始

「護身術・功朗法」とは、強力な攻撃力を持つのに軍隊ではない、と言い張る自衛隊のような、羊の皮をかぶった狼的呼称だと思う。・・・・・  功朗法の本性を見破ったコメントに、ある意味の驚嘆と喜びを感じた。

護身術とは本来こうしたもので、本性を隠しているから有効であると考えている。  実戦の場においても、構えらしい構えをせず、戦闘意思を表面に表さない。しかし、内には絶対に相手の理不尽な侵害に屈しない、強い意志を秘めている。相手の先の先をとって制圧する。制圧し相手の戦闘能力を奪う。

例え相手が、どのように鍛えていて、どのような訓練を受けていても、そしてどのような武器を持っていても、それを有効に使わせずに討つ。  いっけん後手のように見える功朗法の技法は、実は後手に見せかけた先手である。戦略、戦術的要素を多々内在した技法は、自分の体を動かす段階では勝利の女神の微笑を背中に受けていることを理想としている。  

確実に相手を制圧する技術があるからこそ、護身が可能となる。武道の競技では引き分けが許されるが、護身では許されない。互いに傷ついて倒れたら護身とはいえない。  

功朗法とは羊の皮をかぶった狼的呼称・・・まさにそうである。猛毒と鋭い歯を持ったキングコブラはライオンも倒す。しかし、あの小さなマングースのスピードと一撃に、キングコブラは一瞬で倒される。キングコブラがマングースを襲おうとした瞬間、猛毒も鋭い歯も使う暇なく全てが終わる。  

功朗法とは戦略、戦術、技術、精神力を内在した武術で、現代社会で失われそうになっている、武の本質を核としたものでありたいと考えている。