月刊秘伝2001年11月号

海外諸国における危機管理意識

横山雅始

国際武術文化研究会代表、総合実戦武術功朗法 総師範 。
中学で古流武術、以後、空手、中国武術などを学び功朗法を創始する。
国内でのセミナーや南欧各地に招聘され警察隊、警備隊などに功朗法を指導。
イスラエル護身術クラブマガ会長も技術交流に来日。
フランスで名誉市民賞ほかフランス勲功促進委員会から貢献十字勲章受章

実用と適応の護身術とは

天使の都の現状
 昨年北フランス、そして本年3月と9月に南フランスの警察隊指導に引続き、11月末、タイの首都バンコクで総合実戦護身術功朗法のセミナーを行った。バンコクは日本からわずか6時間の距離だが気温はがらりと変わる。セミナーは日本の寒さに慣れた私にとって、凶器との闘いではなく気温との闘いだった。ムエタイのトレーナーや他武道の経験者などに混じって、自分が所持する拳銃まで用意して、対凶器護身を学ぼうとする熱心な女性弁護士もいた。
4日間の短い滞在だったが、私は急成長を向かえた東南アジア独特の、エネルギッシュな熱気を全身でたっぷりと感じた。人、車、汗、埃、そして軒を寄せ合う建物。文化遺産と現代建築が混在した街で、人々はより恵まれた生活環境を手に入れようと必死で生きている。
しかし、こうしたエネルギーはポジティブな方向へ動くものだけではなく、安易でネガティブな方向を目指すものもある。バンコクは天使の都と言われ、アジアの中でも比較的治安がよいイメージがあるが、殺人、強盗等の凶悪犯罪は人口比で日本の数倍発生している。窓には分厚い雨戸をつけ、金属の格子を入れ、ドアは3重、4重にロックをする。ここで生活する人たちは、日常生活のごく自然な行為として、ドアやベランダの鍵を何重もかけたり、分厚い雨戸を閉めたり、周囲の不審者に気をくばったりする。さらに街には放し飼いの犬が多数闊歩し、狂犬病も撲滅されていない。
日常的に危険は存在し、その危険を何気なく遠ざけながら、彼らの1日は終わってゆく。露天で見かける竹細工の籠のように、観光客にとっても危険と歓楽が交互に編みこまれた街である。この国で拳銃所持の許可をとるのは、さほど難しくないようで、テレビでも射撃の講習が放送され、拳銃の所持率も高く、車に積んでいる者も多いようである。
しかし安全と水は、ただであると認識している日本人にとっては、海外も日本も同様の感覚でしか捉えていない。その一例としてタイでは特に、日本人観光客を狙った睡眠薬強盗が発生している。

 

数々の犯罪
 彼らの手口は観光地で日本人観光客に親しそうに声を掛ける。そして、睡眠薬の入った飲み物、食べ物を勧めたり、一緒に飲みに行こうと誘い、バーなどで睡眠薬の入ったドリンクを飲ませて意識を失なわせ、旅券や現金等の貴重品全部を盗むのである。場合によっては、身ぐるみ剥がされ路上に放り出されることもある。
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 日本大使館の資料によると2000年1月に発生した事件では、車に引きずり込まれ、無理矢理、薬を嗅がされて意識を失い、現金等を強奪され、路上に放り出されていたところを保護された事件が報告されている。さらに、私の知合ったタイ在住の日本人は、こんな話を聞かせてくれた。ある日本人女性が観光に来て、約80万円を騙し取られた。宝石とか高価な物品を安く売るという話にのって、マンションの1室に案内され、脅されて金品を奪われたそうだ。その後、彼はタイ人弁護士を通じて、その女性から相談を受け、知人の警察官を伴って犯人のマンション付近へ銃撃戦覚悟で趣いたが、パニックした日本女性がそのマンションを特定できず、結局は犯人逮捕には至らなかったそうだ。
 私自身もマレーシアでバイク強盗を体験した。知人が前方を歩き、私は約3m後ろを歩いていた。1台のバイクが後方から接近し、私の横を低速度で通過して、その知人の横を通り過ぎようとしたとき、彼の体が大きく傾いた。最初、私は接触事故かと思ったが、すぐに彼のバッグを奪おうとしているのに気が付いた。私はポケットに入れていた、尖った金属製の箸をバイク強盗に投げようと構えた。その瞬間、バイク強盗は彼のバッグを離し国道側にターンしようとした。バイクの後方4mほどに接近していた私に知人は「ここで問題を起こすな。今夜のフライトのほうが大事だ。捕まえて警察を呼べばフライトに間に合わない」と制止した。その間にバイク強盗は国道に飛び出して逃走した。

 

欧米の事件  
 同様の犯罪は欧米でも頻繁に起きている。日本人観光客や添乗員が狙われて、バイクに引きずられ死亡した事件もあった。私の知人はバッグを、たすき状に肩からかけていた。当然、奪われないが体ごと引きずられる可能性がある。しかし、この知人はバッグを選ぶときに自分の全体重がかかると、簡単にちぎれる程度のストラップのバッグを選んでいる。彼に限らず海外の人たちの多くは、こうした自分なりの危機管理を日常的な習慣として身につけている。
私はフランスの裏町で、雑誌を執拗に売りつけようと道を塞ぐ、アラブ系の3人組に囲まれたことがある。夜にこうした裏町に入りこむのは、危険であることを承知していたが、重要な用件があり時間を惜しんだ私は、しかたなく治安の悪い裏通りを通過することにした。押し付けてくる雑誌を払うと、その下にはナイフを隠し持っていて、それで脅してきた。2人を手荒い方法で制圧すると、残り1人は逃走した。コートダジュールでは、知人の住宅の敷地に侵入しようとした強盗達と私が、銃撃戦を展開したこともある。特に南フランスの地中海沿いの地域は、世界的なリゾートとして栄えているが、地中海は隣接する国々の文化と経済を交流させるとともに、各種の犯罪の種も漂着させてきた。小学校に催涙スプレーがまかれて臨時休校になったり、下校中の子供が誘拐されたり襲われたり、日没後、電話ボックスで電話中の女性が狙われたりするのは、決して珍しい話ではない。

 

日本武道修練の目的
 海外の人達が日本の武道を習おうとする理由は大別して3つある。一つは精神面で日本的な思考方法を勉強したいと考えるタイプで、居合や合気道その他の精神性と礼節を重んじる武道を選ぶ。2つ目は護身のための実用性を重んじるタイプだ。例えば、子供を学校まで送迎するので、途中で襲われた場合の護身にとか、理由はさまざまだが、徒手格闘競技として楽しむものではなく、護身として役立つものを求めている。言い換えれば凶器を持った相手に襲われても、対応できる実用的な技術を学ぼうとするタイプだ。暴漢が素手で人を襲うことなど考えられないし、例え単純な喧嘩でも、双方が興奮すれば素手の殴り合いなど稀であるからだ。3は競技として楽しむタイプで、柔道やキックボクシング、その他の徒手格闘技や競技武道で汗を流したい人達だ。
しかし、最初は武道に対する知識がないために、護身を目的としていながら、どの武道を選んだら良いかわからず、とりあえず日本武道と名のつくものを選んでしまう。そして、なかには何度も単純練習を繰り返し、素手同士を想定した格闘技術を高めることによって、その向こうには自分が理想とする護身技術の域があるものと錯覚する人達もいる。

 

路上での実用性  
 南フランスで打突系の道場を経営する日本人武道家の家に招かれたことがある。彼の奥さんは生粋のフランス人で、彼女は「私の主人は果物ナイフを私が持つだけで、私には勝てなくなる。私は道場の練習には、あまり参加していない。」とフランス的に率直に語った。しかし、周囲の空気を和ませようと「最近は家庭が忙しいから」と一言。彼女の男性を選択する目は確かだったが、自分の目的にあった武道を選択する目は間違っていたらしい。
特に彼女のような人達が必要とする護身術とは、短期で身につき実情に即した、実用性の高い技術のことである。礼、構え、始めといった合図とともに行う様式美はさておいて、路上で車の陰から銃やナイフを持って襲ってきた路上強盗への対処とか、子供を連れて帰宅中に襲われた場合とか、非常に現実的な場面への対応法が要求される。

 

合理性の追求
 私は海外のセミナーも日本での指導も、技術面では全く同じ方針で指導している。それは無駄な動作を省き、本能的な身体反射を利用した、一動作か二動作の敏速で最小の動きだけで、敵を封じ反撃を行うことである。大きな動きや動作数の多い技、華麗な技は、見かけは有効そうでも実用的でない場合が多い。人間がパニックした状態で咄嗟に行える動作は、一動作か二動作以内の本能的で反射的な動きのみである。実際、刃物や凶器を目の前に見て、普段と同様に体が動くのか、足が硬直しないのか、など現実的な問題を念頭において考えていただければ理解いただけると思う。瞬時に反射的に体が動くような、本能的でシンプルかつ動作数の少ない実戦力のある技法こそが、現場で求められるものなのだ。海外の人達の多くは、私が「刃物で攻撃を加える人間の多くは、興奮状態で冷静な思考ができず、同じ個所を何度も斬ったり刺したりする。瞬時に反撃しなければ、また次の攻撃がくる」と説明すれば「なるほど」とうなずく。同じような場面を自分が街で見たり、あるいはテレビで報道された事件のシーンで登場するからだ。
さらに彼らは自分達の職業や環境に適応する技法を求めている。例えば警備隊員は狭い場所や、動きにくい場所での対応が必要な場合もあるので、特に動きの少ない敏速な技法を必要とする。警護官は銃を携帯しているが、もし物陰からナイフによる突発攻撃を受けたなら、その瞬間は銃を使う暇がなかったり、警護対象者や周囲の人達安全も配慮する必要があり、銃を片手に持って行える技法が要求される。
欧米人の多くは、今まで自分達が修練してきた技法と比較して、より有効でより現実的で、より自分達の職業や環境に適した技法であれば積極的にそちらへ乗り換える。それは彼ら特有の合理性とシリアスな危機管理意識によるものであり、そこには日本的な義理や面子という感情は存在しない。私のセミナーを受講する欧米人は他武道の有段者が多い。しかし、功朗法が自分にとってより有意義であると思えば、例え他武道の支部長でもその支部のメンバーとともに功朗法に鞍替えしてしまう。護身のためには、より合理的なものを積極的に吸収する、これも彼らの生活に染み付いた危機管理方法の一つである。

 

日本人に求められること
 こうした既成概念に囚われない自由な発想や、日常的な危機管理意識は、護身にとって技法以上に重要なメンタル面の根幹をなす。しかし今の日本人の多くは、こうした考え方を持たない。たとえ喧嘩になっても素手同士で紳士的にやるものであり、強盗やスト−カーによる殺傷はごく一部の不運な人達のできごとで、自分には関係がないと考える。日常生活の一環として危険な状況を想定し、その危険にどのように対処するかを常に考えておく習慣は、現代の日本社会から消えてしまった。しかし、治安大国の防壁がもろくも崩れだした今日、私達は日常的な習慣として、危機管理の方法を身につける必要があるのではなかろうか。日本の武道家も一般の人達も、護身を行う上で意識改革こそが最重要課題になりそうだ。